統合的水資源管理
国際協力銀行 石森康一郎
はじめに
地球に存在する水の97.5%は海水で、淡水は2.5%に過ぎない。更にその2.5%の淡水のうち大半が南・北極地域等の氷として存在しており、実際に我々が日常生活で使えるとされている水の量は、地球に存在する水の0.007%である。一方で、このように我々の使える水資源が有限であるにも拘わらずその汚染は深刻化しており、水環境が破壊されているほか、世界では水関連の病気で8秒に一人の割合で子供が死亡していると報告されている。また世界では依然として約11億人もの人が安全な水にアクセスできていないとされている。従って、水資源管理の不備は、特に途上国で健康や生産性を損ない、様々な側面において開発の障害となっている。この意味で、先進国をはじめ開発途上国は有限な水資源を質・量の両側面から管理しなければならない。更にその管理は人間と自然の関係においてのみならず、適切な配分等を巡って人間社会内においても行われなければならない。最近の水資源の管理を巡る国際コミュニティの潮流は、その管理手法として注目されている統合的水資源管理(Integrated Water Resources Management:IWRM)の概念に反映されているといえる。そこで、ここでは水をとりまく開発援助の動向をIWRMの紹介を通して説明する。
定義
統合的水資源管理の概念は専門家間で広く議論されており、現在のところ世界中でコンセンサスを得た明確な定義は存在していない。しかし、統合的水資源管理を促進する世界中の取り組みを調整している世界水パートナーシップ(Global Water Partnership)の定義が比較的広く受け入れられているので、以下にその定義を引用する(関連文献2:IWRM Toolboxを参照)。
統合的水資源管理とは、水や土地、その他関連資源の調整をはかりながら開発・管理していくプロセスのことで、その目的は欠かすことのできない生態系の持続発展性を損なうことなく、結果として生じる経済的・社会的福利を公平な方法で最大限にまで増大させることにある(仮訳)。 しかし、上述のように統合的水資源管理については、世界中でコンセンサスを得た定義が存在していないため、様々な情報や定義が錯綜している。例えば定義の中には、統合的水資源管理を狭義の統合的流域管理(Integrated River Basin Management)と混同視し、河川流域の上流・下流における水量や水質の管理に限定したものになっている定義もある。こうした類では、自然界での水循環や土地・森林、地下水といった水資源に関連する資源についての考慮が十分になされておらず、誤った統合的水資源管理を助長している可能性がある。
歴史的背景
統合的水資源管理の概念は、多くの世界レベルでの議論を経て徐々に形成されてきたものであるが、なかでも1992年ダブリン開催の「水と環境に関する国際会議(International Conference on Water and the Environment)」で採択された「ダブリン宣言」に寄与するところが大きい。ダブリン宣言はそれまでの水資源管理についての基本的概念を大きく変えるもので、以下の4原則に集約され、同年の「国連開発環境会議(United Nations Conference on Environment and Development)」で作成された「アジェンダ21」の水資源についての章である第18章にも反映された。
ダブリン4原則
- 水資源の「有限性」
(淡水は有限な資源で、生命や開発、環境の維持にとって欠かせないものである)
- 「参加型」での水資源開発・管理
(水資源開発・管理はあらゆるレベルの水利用者・計画者・政策立案者を含めた参加型アプローチに基づくべきである)
- 水供給・管理・保全における「女性の役割」
(女性は水供給・管理・保全において重要な役割を果たす)
- 「経済財(an economic good)」としての水
(水は競合的な関係を持つあらゆる水利用者にとって経済的な価値を有し、経済財として認識されるべきである)
またこうした概念に、水資源と土地やその他関連資源との調整や管理面で、従来のトップダウンアプローチではなくボトムアップアプローチといった概念が加わり徐々に形成されていった統合的水資源管理の概念は、次第にその重要性が広く認められるようになった。2002年に開催された「持続可能な開発に関する世界首脳会議(World Summit on Sustainable Development)」の実施計画においては、2005年までに統合的水資源管理計画を策定することが盛り込まれ、2003年に日本で開催された「第3回世界水フォーラム(The Third World Water Forum)」の閣僚宣言でもその意思が再確認された。
理論的考察
統合的水資源管理は主に以下4つの点で新しい特徴を見出すことができる。まず最初は、水資源管理の焦点がこれまでの開発(Development)から管理(Management)へと移行したこと。例えば、これまで水資源管理の一環として洪水防御などを目的とした大型ダムが開発されてきたが、その開発がダム下流域の水環境や人間の生活に多大な悪影響を及ぼしてきたことは、水資源管理の焦点を開発から管理へ移らせる良いきっかけの一つとなった。2つ目の特徴としては、新たに「統合的」という形容詞が付け加えられているように、統合的水資源管理では「自然システム内の統合」と「社会システム内の統合」、そしてその2つのシステムの統合を図っていることである。即ち、自然システム内の統合では水資源の質と量の重視や、水資源管理と土地資源管理の統合、自然界での水循環における水のあらゆる形態・段階の統合的な考慮などを含んでいる。また社会システム内の統合は、異なるセクター間や利用者間での水利用の統合や、水資源管理における計画・決定プロセスの統合、水利用の経済効率と公平性などを含んでいる。また自然システムと社会システムの統合では、自然と人間の持続可能な発展といった統合を図っている。3つ目の特徴は、これからの水資源管理は土木工学や水文学といった自然科学系の知識だけではなく、制度改革や技術移転、紛争解決、マネージメントといった社会科学系の知識も統合的に扱わなければならいことである。そして4つ目に、統合的水資源管理へむけた水資源問題の解決は一国内の地域レベルで対応できるものがある一方、そうでないものもあり、これまで以上に国際的なパートナーシップを通じた取り組みが必要になっているということである。
最近の議論・論争点
冒頭で述べたように、統合的水資源管理の概念は重要視され普及しつつあるが、未だに定着化した定義が存在していない。また上述のように統合的水資源管理の性質は幅広い要素・側面を取り込まれなければならならず、実際の統合的水資源管理計画の実施にあたって、その手法開発が遅れている。こうした特徴のため、統合的水資源管理の計画が本来の統合的水資源管理が意味するものと異なって策定されたり、効果的・効率的な実施が阻まれている。先進国は経済成長がもたらした環境面での負の遺産を相続し、それらの問題にひとつずつ対処してきた過程の中で、水資源管理に関してもその方策を発展させ、ある程度まで統合させてきたが、それにも拘わらず統合的水資源管理の計画・実施は容易ではない。しかしそのような過程を殆ど経験しておらず、かつ先進国での経験から得られる知識が限られている開発途上国にとっては、統合的水資源管理の計画・実施は困難を極めていると言って良い。このような中、世界水パートナーシップでは、既述の定義に基づいた統合的水資源管理の計画・実施を促進するために以下の3点が重要であると主張している。まず1つ目が、統合的水資源管理計画を策定・実施するための環境整備。即ち、政策、立法・規制及び、水資源管理に関係する人への情報提供といった一般的な枠組みである。2つ目に、様々な行政レベルでの調整や関係者の機能強化といった組織的・制度的な役割、そして3つ目に効果的な規制、モニタリング、実施のための運営手段や資金、人材を含むマネージメント手段である。
主要各国・援助機関の政策スタンス及び実績
主要各国政府は、持続可能な開発に関する世界首脳会議(2002年9月、ヨハネスブルク)や第3回世界水フォーラム(2003年3月、京都)での統合的水資源管理の支持を背景に、国内において統合的水資源管理を促進すべく取り組んでいるが、上述の理由からその計画・実施範囲は限定的なものとなっている(水供給・衛生プロジェクトにおける統合的水資源管理の限定については以下の関連文献、研究機関ウェブサイトの3番目のリンクを参照)。そこで世界水パートナーシップでは、統合的水資源管理についての情報や経験を広く共有するために、ホームページにIWRM Toolboxを設け各国のケーススタディ(2003年10月現在約110例)を掲載している。また、主要援助機関による開発途上国での統合的水資源管理についての取り組みも限定的なものに留まっている。OECD/DACが提供するデータ(Creditor Reporting System1)をもとに、近年の主要援助機関による水分野での援助動向を概観すると、プロジェクト全体の援助額でも件数でも水供給・衛生分野が大半を占めている2 。水供給・衛生分野プロジェクトを1981年から1990年の10年間と1991年から2000年における10年間で比較分析すると、大規模ないし小規模な水供給・衛生プロジェクト3 が約45%から約58%へと増加傾向を示している。しかしその一方、水資源政策・行政管理プロジェクト4 は減少傾向にあり約44%から約28%へとなっている。また水資源保全プロジェクト5 に関しては過去、現在ともに非常に少なく、1991年から2000年の10年間では、水分野における援助全体の約3%にすぎなかった。このように、近年の主要援助機関による開発途上国での統合的水資源管理についての取り組みは限定的な結果となっている。また、世界銀行は開発途上国に対して水供給・衛生分野における政策・制度の改善や組織強化等を図る統合的水資源管理に欠かせない知的支援に力点を置いて実施してきているが、世界銀行評価局によるとその効果は改善しているものの低レベルに終わっているとしている。
日本の援助機関の動向・議論・問題点
日本は特に1980年代初頭以降、水供給・衛生分野についての主要援助国となっているが、同時に農業用水資源6 プロジェクトも早くから手がけており、1990年代のその援助額合計は世界最大規模となった。しかし1999年頃になると、農業用水資源プロジェクトの援助額、件数は大幅に減少し、他の主要援助機関と同様に水供給・衛生分野に焦点を置くようになった。水供給・衛生分野についての援助傾向を分析すると、1980年代には水資源政策・行政管理プロジェクトに中心が置かれていたが(全195件中109件)、1993年頃からは一転し、大規模な水供給・衛生プロジェクトに中心が置かれ、2000年には全33件中31件を占めるに至った。このように、近年の日本の水分野における援助についても水資源政策・行政管理プロジェクト、水資源保全プロジェクトは非常に少なく、その意味で統合的水資源管理の取り組みは限定的であることが示唆される。こうした傾向は他の主要援助機関にも言えることだが、近年の世界の水分野援助が水供給・衛生分野に集中しているという理由だけでなく、援助の性質にも起因しているところがあると思われる。即ち、概して援助機関は短期間のうちに目に見えて良くわかる効果が発現するプロジェクトを好む傾向にあり、水供給や衛生といったプロジェクトがある程度そのような性質を満たしているのに対し、水資源政策・行政管理プロジェクトや水資源保全プロジェクトは効果が短期間で発現し難く、目にも見え難い性質を帯びているというところにあろう。
関連文献、研究機関ウェブサイト
- 世界水パートナーシップによる統合的水資源管理の定義、実施のための条件については、The Global Water Partnership (2000), Technical Background Papers No.4:Integrated Water Resources Management
http://www.gwpforum.org/gwp/library/TACNO4.PDF
- 世界水パートナーシップのIWRM Toolboxについては、
http://www.gwp.ihe.nl/wwwroot/GwpORG/handler.cfm?event=home&targetFrame=top&
- アジア、アフリカ、南アメリカで実施された水供給・衛生プロジェクトにおける統合的水資源管理についての評価一例としては、
http://www.irc.nl/products/publications/online/op31e/
- 世界銀行評価局による世界銀行の水供給・衛生プロジェクトに関する評価については、
http://www-wds.worldbank.org/servlet/WDSContentServer/WDSP/
IB/2003/09/25/000012009_20030925100342/Rendered/PDF/
264431white0covr0already0exists1QUES.pdf
- 世界銀行の水資源セクター戦略ペーパー(2003年2月)の概要については、
http://dakis.fasid.or.jp/report/pdf/BriefingReviewNo.24.pdf
全文については、
http://lnweb18.worldbank.org/ESSD/ardext.nsf/18ByDocName/
TheWorldBankWaterResourcesSectorStrategyentiredocument255MB/
$FILE/WorldBankWaterResourcesSectorStrategywithbibliography.pdf
なお、本レポートの内容は筆者個人の見解であり、国際協力銀行の公式見解ではないことをお断りしたい。
1 OECD-DAC Creditor Reporting System(http://www.oecd.org/dataoecd/50/17/5037721.htm)より。日本の場合、現在のところ円借、無償(草の根は除く)のみをOECD-DACに報告しているためその他の援助は反映されていない。
2 更に水供給・衛生プロジェクトの大半は水供給プロジェクトであるが、排水処理等のコンポーネントも含めたプロジェクトは少なく、その意味で統合的水資源管理の取り組みは限定的になっている。
3 「水供給と衛生(大規模)」とは、淡水工場、採水、貯蔵、処理、汲み上げ、運搬、配給システム、下水設備、家庭・産業排水処理工場を指す。また「水供給と衛生(小規模)」とは、手動ポンプ、スプリング式集水、重力送りシステム、雨水集め、貯蔵タンク、小規模配給システム、簡易便所、小口径下水道、現場での処理を通した水供給と衛生を言う。
4 「水資源政策・行政管理」とは、水セクター政策、計画、プログラム;水の法令、管理;制度のキャパシティー・ビルディング;水供給の評価と研究、地下水、水質、流域の研究;水文学を指す。
5 「水資源保全」とは、内陸地表水(川、湖など);地下水の保全や回復;農薬や産業排水からの水質汚染の防止を指す。
6 「農業用水資源」とは、農業に利用するための灌漑、貯水池、水利施設、地下水を指す。
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